家にも学校にも居場所がない私は、自分より酷い人生を見つけたことで、自分を守る方法を見つけました。

Photo by華子 in December4,2019
華子
東海地方出身。現役女子大生。
高校1年生の時に親元を離れ、今は恋人とペットと3人で暮らしています。
最近は花嫁修業を兼ねて、毎日の夕飯作りと節約生活を楽しんでいます。
音楽とお酒が好きなので、彼とお休みを合わせてフェスなどを楽しんでおります。
映画やアニメ、読書なども大好きです。
学校ではいじめられ、家に帰ったら母親に暴力をふるわれ、毎日が地獄の生活を過ごしていました。どこにも居場所のない、必要とされていない自分を知れば知るほど自分を嫌いになり、絶望していきました。

そんな時に出会ったのが、太宰治の「人間失格」です。

私はこの一冊の本に出会ったことで、自分自身を守り、人生を過ごしやすく生きるための方法を身につけました。

皆さんも是非、自分自身を守る方法を見つけませんか?

居場所のない生活。自分を世間から隔離して自分を守ろう!


私は、口が悪く、自我も強く、それが同世代の女子に好かれるところであり、嫌われるところでもありました。そのため、小学校から中学校にかけて、一部の同級生の女子にいじめられてきました。

私は、性格的に素直ではないため、泣くことは恥ずかしいことだと思い込み、家に帰ってもいじめられていることは相談できませんでした。

母親はそんな様子のおかしな私を見て、相談できないのは自分に信頼が無いからではないかと苛立ち、私に暴力を振るうようになりました。

学校も地獄。家に帰っても地獄。

この時の私は、学校にいる時は保健室や図書室に入り浸り、家にいる時は極力自分の部屋で音楽を聴いたり、周りの世界から私を隔離していました。

そうしなければ、自分が潰れてしまうと思いました。こうしていれば、私は自分の世界で楽しく生きていけると考えていました。

守り方の失敗。状況は最悪な方向へ…


私は自分一人でできることが好きになり、読書や映画鑑賞、音楽を聴いたりし続けて自分を守りました。

そうしている時だけ、私は楽しくて幸せな時間を過ごすことができました。こうしていけば、一生苦しい思いをしなくて済むと思い込んでいたのです。

しかし、現実はそう甘くありませんでした。

いじめっ子達は図書館まで追いかけて来て、母親は私のイヤホンを引っ張り部屋から引きずり出しました。唯一の味方だった父親も、女性に洗脳され、私たちを捨てどこかへ逃げ出してしまいました。

いじめられた後も変わらず接してくれていた数人のクラスメイトも、私が一人を好みすぎたことで離れてゆき、私は完全に孤立しました。私は自分自身で、さらに自分を追い込んでいたのです。

誰も助けてくれない。私は世界で一番不幸なんだ。毎日本気でそう考えていました。

人生の転換期!人生を幸福に導いた一冊の本との出会い。

Photo by華子 in December4,2019
そんな絶望した毎日を送っていた時、図書室でたまたま太宰治が書いた「人間失格」に出会いました。あの時の衝撃は、今もハッキリと覚えています。

主人公の大庭葉蔵は意思を持たない、私と真逆の人間でした。

流されるがまま生き、人を巻き込み堕落していき、その代償として自分の最も大切なものを汚されていきました。その結果、自身を人間として失格であるような人物にしてしまいました。

私は今まで、いじめられている事実が辛く恥ずかしく、目を背けることしかできていなかったのです。しかし、この本に出会って初めて、私よりも酷い人生もある、辛いのは自分だけではないと気付きました。

この自分より酷い状況の人を見つけたという自慢できない発見が、私を前向きにしてくれることになるのです。

地獄の延長線上に待っていた幸せ。正しい自分の守り方。


自身と葉蔵の経験を通じ、人間は裏切る可能性を秘めた生き物であるという寂しい真理を私は見つけてしまいました。

しかし、この真理を意識して人に過度に期待しなくなったことで、私の場合は人付き合いが円滑になるようになり、いじめもなくなっていきました。

離れていたクラスメイトとも関係修復していき、さらに長いこと経った今でも深い付き合いを続けるような友達もできました。少しずつですが、母親との関係も改善されていきました。

人間を失格しないように、葉蔵にならないように、そう思い続けることで私は自身と他人との付き合いをうまく築いていけるようになりました。

まとめ


苦く辛い地獄のようだった生活から数年経ち、現在の私は人間関係も順調に暮らしています。当時を知る友達とは、昔の話を笑い話として話せるようにまでなっています。

大学でも順調に交友関係を広げ、恋人もでき、昔の地獄の一直線上にこんな幸せが待っているとは想像できないくらい幸せな日々を過ごしています。

私が自分自身をあの時守れていなかったら、正直今の私の存在すらどうなっていたかわかりません。

私は、葉蔵という自分より酷い人生を知ることで自分を守って来れました。

こんな守り方、正直自慢できるものではありません。しかし、最後まで自分を守れるのは自分自身です。

守り方がカッコ悪いから、恥ずかしいから、そんなの関係ありません。一番大切なことは、自分を守る方法をたくさん知り、最後まで守ってあげることです。

これを読んでいる人の中で、自分自身を守れなくなっている人がもし居たら、私のような胸を張って言えないような守り方でも人生謳歌してる人間がいることを覚えていておいてください。

自分自身を守る方法に、優劣なんてありません。私のようにならないように、と自分自信を守ってあげてください。

毎日自分自身を守り続けられる事実こそ、大切で褒められるべきことなのです。