絵が楽しくないのは、スランプが原因?そんな時に出会った画集が、自分の心に輝きを取り戻してくれました!

asa-gohan
絵や文章に触れていると、心身ともに落ち着く30代の文系です。
空き時間を見つけては読書や絵を描いて楽しんでいます。
本に囲まれていると幸せな気分になるので、図書館や書店は私にとっての楽園です。
絵を集中して描きたい時は、自宅でというのが私の流儀です。手描きの絵が好きなので、描き続けるあまり、利き手が鉛筆で真っ黒になります。
絵を描くことは好きなのに、スランプに悩んでいる時だと楽しくないですよね。楽しめない日が続いていくと、描く行為そのものが苦痛になっていきます。

そんな時には、自分の世界観を思い出します。と言っても、スランプ中に思い出そうとするのは、かなりの大変さがありますので、好きな分野のメルヘンやファンタジー関係の絵に触れています。

それが私の表現したいものであり、抱き続けている世界観そのものだからです。

そんな私が深いスランプから抜け出し、心の輝きを取り戻すきっかけとなった画集との出会いについてご紹介します。



楽しくないのは、負の感情をぶつけているから?


好きだからこそ、絵を描けることは楽しいもの。ですが、その楽しさが損なわれたら、少しずつ苦しくなっていきます。

絵とは自由であって良いものですから、小さなお子さんから年配の人に至るまで、自分の気持ちを表現するのに適した方法だとも言えます。油彩や水彩、色鉛筆といった画材道具たちが描く楽しみを教えてくれるのです。

けれど、嫌な気持ちやイライラをぶつける為に描いていたら、その楽しい時間は退屈なものへと変わってしまいます。

私は写実的な絵も描いたりしますが、それ以上に空想上の生物や住人たちが生き生きとしている世界観が好きなんです。そこに暗い気持ちは似合いません。そうでなければ、描いていても楽しさは半減します。

10代だった頃の私は、学校生活のことや人間関係のことで悩みが尽きず、思春期で多感な時期もあってか、家族とも険悪な雰囲気になることもありました。

その状態では日ごとに描く枚数も少なくなり、ひと月以上も描かなかったことすらあります。絵そのものに触れることがなかったというのは、思い出してみてもこの時だけです。

思うように絵を描けない日々というのは、変化のない日常を悶々と過ごすことと同じでした。

頑張ってスケッチブックを開いても、鉛筆を手にしたまま時間だけが過ぎていき、白紙に嫌気が差すと黒く塗りつぶして閉じることの繰り返しでした。

スランプから抜け出す為に、本を読み、模写を繰り返すも……。


10代だった頃の私には、絵しか取り柄がありませんでした。絵を取り除いたら、私には何も残りません。

だからこそ何とかしたいと思い、絵に関わっている時間を増やしていこうと思い至りました。そうすれば、嫌でも描かないといけなくなると考えたのです。

半ば強引ではあったのですが、冷静さを失うほど焦ってもいたので、1日でも早く「絵が描けない」という問題を解決する為ならば何でも試すより他になかったのです。

それからというもの、毎日のように描き方や人体の構造を解説した本を読み、模写ができるものは徹底してやりました。

しかし結果から言えば、余計に辛くなっただけです。肝心の、「何の為に描きたいのか」を見失い、自分は何がしたかったんだろうと、堂々巡りをすることが多くなっていきました。

こうなると、たとえ絵を嫌いにならなくても、以前のように楽しい気持ちで描くことはできません。愛用していた画材道具も、集めた資料も、すべてを段ボールに詰め込んで、上からガムテープで封をするのも時間の問題でした。心が前を向いてくれなかったのです。

『天野喜孝画集〈空〉』に出会い、「これだ!」と悟った。


曇っていた視界が鮮明になるというのでしょうか、衝撃が全身を駆け巡ったのは、とあるテレビCM(コマーシャル)を見ていた時です。

ゲームの宣伝だったのですが、何故か見入ってしまいました。正確には、作品のロゴとして描かれた絵に惹かれたのです。

2001年7月に発売されたものですが、印象が強く残ったロゴの絵をご覧ください。

動画共有サービスYouTubeより

2分30秒からの再生になりますが、1人の女性が想いを馳せるようにして舞う姿が描かれています。

当時の私が見ていたものはCMですので、何ヶ月も流れることはありませんでした。でも嬉しいことに、私がCMを食い入るように見ていたのを家族は憶えていたようで、2001年10月に画集をプレゼントしてくれたのです。

それが『天野喜孝画集〈空〉』(正しくは、『天野喜孝画集〈空〉THE ART OF FINAL FANTASY』)と呼ばれるものです。

家族がこの画集と巡り合わせてくれたおかげで、私は絵を嫌いにならずに済んだのです。

今でも鮮明に記憶しています。私の理想とする世界観と、描きたいと思っていたものが画集を開いた瞬間に現れたのですから、絵を嫌いにはなれないと再認識するのも私の中では必然でした。自分で自分を不自由にしてはいけないんですよね。

私が描いていて楽しいのは、幻想的な世界です。そこでは皆が笑ったり、泣いたりを繰り返しながらも生活を営んでいるのです。想像するだけでワクワクしてきます。

肩肘張るのを辞めて。視野を広げ、ゆとりを心に。


本の数だけ物語があるように、描く人の数だけ世界観があります。

私は視野が広がったことで、心にゆとりを持てるようになっていました。

そして画集に出会って以来、私は絵を好きなまま、嫌いになることもなく歩いてきています。

在り来たりな表現になりますが、自分で絵を描かないのは勿体ないと思うんです。その日の気分で描けないこともありますが、上手く描くことが全てではないし、画風にしても好みが分かれるのは仕方ないとも思っています。

現在の私は、肩肘を張ってまで真面目に考えることはしていません。しかし不真面目に考えているわけでもありません。

今はただ、忘れたくない思いの為に、自分と自分以外の世界観を大切にしたいのです。

まとめ

これまでの私は、スランプに陥ると自分に対して苛立ちを覚えてばかりいました。その所為で、家族に強く当たることが何度もありました。

それらは、諦めたくないという思いがあったからなのですが、逆に自分を追い込んでいたのも事実です。

でも、今は違います。私には、私だけの描きたい絵があります。

これから先も伸び悩んだり、行き詰まったりすることもあると思いますが、その時には何度でも初心に戻って、一呼吸を置くつもりです。

誰よりもまず、自分のことを認めてあげたいのです。